2011年03月05日
お久しぶりです
母がグループホームにお世話になってからもう1年半経つ。
母は時間や季節の感覚がまったくなくて
「あたしはここにきてからまだ2週間しか経っていない」と言う。
その話を聞くにつけ、涙が出る・・。
そして、私はとにかく生活するために仕事をする。
それでも、人の幸せを願っている。
これは、やはり、母が施設へ入り頑張ってくれている姿を見れるからだと思う。
人によっては、
「親一人を面倒みれないモノが何を言っている!!」とお叱りの声も頂く。
でも、放置しているわけではないのです。
毎日忘れずに母の事も考えているし、何か変化すればちゃんと対策もする。
面倒を見るとはいったいどういうことか・・・
改めて考えてみてほしい。
施設でニコニコして自分の居場所を感じている母と、自分の家に居ながら自分の存在すら否定している母・・・。
いったい、どの母が不幸で、幸せなんかは計れないではないですか。
ブッタは結局人間は一生苦しみから逃れられないと悟った。
そのことが最近ようやくわかるようになった私だけれど、いつも、いつも、私は母を見守っている。
そして、母もまた心の隅できっときっと私たちを見守っていると・・・そう信じてます。
2010年02月05日
感謝とともに・・・
何故未だに苦しんでいるか。
施設に入ってから、周囲は「さぁ、これからだ」と言ってくれるけど、そうそう前に進めないもどかしさ。
それは、母が居なくなってからのこのいいろいろな空間がぽっかりと空き、それを埋めることがなかなか難しいということ。
あなたは、もう十分親孝行をしてきた・・・と言われたときにでさえ、罪悪感で押しつぶされそうになるから。
でも、それは私の弱さとエゴ。
歩き出さねば親へのしめしがつかない。
でも、この穴を埋めるのは容易なことではない。
気持ちの切替はそうそうたやすくできるものではない・・・ということ。
関わってきた時間が長ければ長居ほど強くなるものだと今更ながら思う。
でも、これから私は独り頑張って生きていかねばならない。
母へ
私という人間を生んでくれてありがとう。
私を育ててくれてありがとう。
大切なことを教えてくれてありがとう。
そして、私を生かさせてくれてありがとう。
私が死なずに生きれたのは本当は奇跡なことかもしれない。
2010年02月02日
無償の愛は永久のものではない
一つ前の日記で誤解があるといけないと思い一つ記事にする。
確かに、無償の愛は存在すると思う。
でも、それは、そのときだけだと思う。
永遠に続くものではない。
そこを間違えるといつまでも親への疑問が解けないだろう。。
でも
「おまえのために・・・・」とか繰り返すことというのはエゴが存在すると私は確信している。
本当に、子のためのものなら、口には出さない・・・
私は今、そう思うようになった。
エゴに気づき、それを捨てられたらどんなに楽か・・・・。
そう思えるようになった・。
逆に、親に対して子どもサイドからのエゴもある。
だから・・・プラスマイナスゼロ・・・・にはならないかもしれないけど・・・それに近いものがある・・・。
それはある意味、介護してはじめて気づいたことだと言える。
情というものを置いておいて考えると、そこに行き着く。
そこを見ないでいると、単なるきれい事に過ぎ去るような気がする。
周囲からも、自分自身でも・・・。
こころを解き放つ・・・・・?
しばらくぶりの更新です。
私の苦しみが分かってくれる人が居ました。
同業者ですが、え、この人も?と思うくらいの人でした。
それくらい意外でした。
でも、その方の発する言葉が私の心の救いとなりました。
沢山の言葉はいらない・・。
でも、ひとつひとつの言葉が痛いほど分かる。
それで救われた・・・・。
親への愛情はあるにしても、
やはり、人生を親にかけられない・・・
きっとこの意見について批判もあるに違いないけれど、
実際、自分の人生は自分のものであり、決して自分の親のための命ではないということ・・、みんな知って欲しい。
これは、親をないがしろにしているわけではない。
むしろ、親から生まれ育ち、私たちはこの地球にとってかけがえの無い存在でなければならない・・・と思う。
そのために、生まれてきて、そして、次の世代へ受け継がれていくということ。
決して、自分のために子供を育てるのではなく、未来の地球のためにそだてるのだということを忘れてはならない。
親は大切です。
でも、私という子孫が死んでしまっては、親の意味もなくなるような気がする。
私の親は心身ともに元気なときには、今、私が言っているようなことを始終言っていた。
しかし、65歳を境に、一転して自分のことしか考えられなくなる。
多分、自分もそうなるだろうと思う。
70歳を過ぎてしっかりと独りで生きていこうという人間はこの世にいったいどれだけ存在するだろうか・・・。
そうやって、働き盛りの子供の生活を脅かす現代の70歳世代の認知症の方々。
親はいつまでもいると思うな・・・そう、私の親は口をすっぱくして言っていた。
それは、やはり、親が居なくなっても逞しく生きていかなければいけないという使命が私たちにはあるんだよ、、、ということだと思う。
なのに、認知症になったら、それらは全てウソだったかのように、私たちは翻弄されるのである。
何が真理であるかなどと、もうどうでもよくなり、わけの分からない世界をさ迷い歩かなければならない。
それじゃぁ、いけない、・・・・そう思うようになった。
私のこのひとつしかない身体は唯一親のために存在するためのものですか?
あんたのため、子供のため、と言われ続けて生きてきた苦しみを、親は多分分からないと思う。
無償の愛・・・そんなものがこの世にあるのか?
そこまで思う。
子供のためだなんて、偽りだとさえ思う。
どれだけの人がその言葉に苦しめられてきたか・・。
そう思ってしまう私は生きていてはまずい人間なのかな・・・・。
2010年01月23日
なんとか歩いてます
先日まで何も出来なかった私ですが、少しずつ前進しているつもりです。
ありがとう。。。。
今日はなんとか歩けることのできる参考させていただいていますブログをご紹介します。
施設側の目から見た認知症を取りまく世界を暖かいマンガで教えてくれます。
(マンガ)認知症のある人って、なぜよく怒られるんだろう?


